略歴

1984年(昭和59年)4月6日行田市生まれ
1997年 行田市立中央小学校卒業
2000年 行田市立忍中学校卒業
2003年 埼玉県立熊谷西高校卒業
2007年 専修大学文学部哲学科卒業

野本翔平のあゆみ

幼少期

子供の頃から絵を描くのが大好きで、紙とペンを見つけていつも絵を描く。
保育園では毎日泥んこになって遊ぶ。海や山にもたくさん連れて行ってもらう。

10代

小学校時代、少年野球チームに入り、約1年間野球をするものの、少年サッカーチームが新しく創設され、もともと興味があったサッカーに転向する。
中学校ではサッカー部に入部。3年生の時に部長を務める。中学生になった途端に思春期が始まり、入学早々に喧嘩をしてしまったり、女子と全然話せなくなったり、周りの目線を気にしすぎて嫌になったり、結構大変な時期を過ごす。
高校では最初は美術部に入るが馴染めず、美術室から校庭を眺めている時に気になったラグビー部に入部。

相変わらず思春期真っ盛りで、同級生たちが繰り広げる青春模様を羨ましく思いながら、夏休みにはTSUTAYA行田店に通い詰めて時間とお金の許す限り映画(レンタルビデオ)を見たり、音楽雑誌を読んだり、若者がやんちゃをする小説を読んだり、文化祭に出るためにバンドを組んだりして、恋愛というものには全く縁がなかったものの、充実した青春時代を過ごす。
大学入学と同時に初めての一人暮らしをする。近所のスーパーでレジ打ちのアルバイトをしながら、哲学科の授業を受ける。休みの日は小田急線に乗って一人で下北沢や新宿、町田や江ノ島などへ出かけ、物思いに耽ったり、映画、音楽、本などを見たり聴いたり読んだりする。また、ストリートダンスサークルに入り、同級生とダンスチームを結成し、都内のクラブや地方のイベントでダンスを踊る。

20代

大学3年から世阿弥の能楽を研究するゼミに所属して、世阿弥の謡曲を学ぶ。また、大学の短期留学プログラムを利用してアメリカ合衆国イリノイ州のアーバナシャンペイン大学に1ヶ月間留学する。初めての異国での日々は驚くほど刺激的で、英語の学習だけでなく、現地のダンサーやアーティストとも交流する機会に恵まれて、以降の価値観に大きな影響を与える。

大学卒業後はアルバイトをしながらアーティストとして活動する。もともと好きだった絵画の他に、自分の身体を使って表現するパフォーマンスアートや舞台芸術の活動も始める。東京のほか、中国、インドネシア、フランスなどでもパフォーマンス作品を発表。また、アートイベントや展覧会などの企画運営も行い、様々なアーティストたちと交流を深める。この頃、地方のまちづくりと関わりながらアート活動に取り組むアーティストが注目されるようになり、そういった動きに共感して、活動の拠点を行田に移す。

2008年、行田市本町のパン屋翠玉堂でアートイベントを始める。毎月1回開催し、様々な人たちの交流の場となる。このイベントは現在も継続中。

2012年、翠玉堂で行田の若者たちと知り合ったことをきっかけに、若い人たちで面白いことをやろう!と、市民公益活動団体SEEDを結成。地元高校生たちと演劇作品を創作・発表したり、様々な芸術家を講師に招いてワークショップを開催する等の活動を行う。

2014年、NPO法人CILひこうせんのアートディレクターに就任。障がいのある人たちのアート活動をサポートする。また、アートで行田を盛り上げたい!という思いから、忍町アートギャラリーを企画。地域の方々と実行委員会を結成し企画運営を行う。これまでに計13回開催し、のべ400人以上のアーティストが参加し、地域にアートを根付かせている。

2016年 埼玉県障害者アートネットワークTAMAP±0北部支部長に就任。埼玉県障害者アート企画展を県内の多くの施設職員とともに企画運営するとともに、障がいのあるアーティストの発掘と支援を行う。埼玉県は障害のある人たちの表現活動を以前から支援していて、TAMAP±0の取り組みは全国からも注目を集めている。

2018年 一緒に活動してきた仲間たちとNPO法人わわわ工房を設立。地域の未来を担う子供たちを育むことを目的として、親子で楽しめるマルシェや、おしゃれなワークショップイベント、子ども食堂などの事業を開催する。

近況

結婚し、息子が生まれる。市議会議員として、1児の父として、アーティストとして、様々な人たちと協力し合いながら、行田をもっと素敵にするために、この地域をもっと暮らしやすくするために、若者ならではのアイデアと想像力と実行力を武器に、日々活動に邁進中!!

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