<<続>>【子育て、家事、仕事、ワークライフバランス、QOL、そしてまた明日。part.2】

先日、子育てについての感想文みたいな文章を書いてみたわけですが、それを目にした妻から一言いただきまして、

女性は「子育てが大変」とかすごく言いにくいんだよね~

と。

これはまた、クリティカルで、

いや本当に、その通り何だよなあ~、と思う。

子育てに関しては、本当に男女差が激しすぎる。男女の役割設定が、初期設定としてもうガッチリ、ガチガチに固定されてしまっているような感覚だ。

鉄は熱いうちに打て!

てわけで、

この育児や子育てにおける男女差に関してこの間色々考えてきたので、忘れないうちに書いておこう。

わかりやすい例を挙げてみると、

私が子どもを連れて歩いていると、それだけで、ものすごく褒められる。

通りすがりの方々、特に、私の母くらいの年齢の女性が多いけれども、かなりの割合でお褒めの言葉を掛けていただく。これは私としてはシンプルに嬉しい。

でも、その一方で、

妻が子どもを連れて歩いているとき、そういうことはほとんどない。

大変ねえ、とかは言ってもらえる。今だけよ、とか、頑張らなきゃね、とかもある。

これはすごく分かりやすい一つの例で、こういうことが子育てや家事全般に当てはまる。

実のところ、

私は、こうした家事や育児にまつわる圧倒的なジェンダーギャップの問題に、長男が生まれてから半年くらいまでの、私にとってはパパになった気分でちょっと大変だけどそれもちょっと楽しいかなくらいに感じていた浮かれ期間であり、ということは妻にとってはマジでアイツ何も分かってないなアホだなと思う瞬間が沢山あったであろう期間だが、その頃まで、本当に私は無自覚でした。

妻からは、いろいろなヒントを与えられていたのだけれど、今から思えば。ただ、妻の言葉の意味はもちろん日本語だから分かっていたが、その言われていることの一つ一つの背景にどよーんと存在しているもの、私たちの社会、というか、もっと広く、根深く、私たちの暮らしの隅々に漂っているもの、それを妻の言葉や態度は教えようとしていたんだと、今はだいぶわかるように、自覚できるようになったと思う。

自覚できるようになったのには明確なきっかけがあった。

それは、私がこの約3年間の子育てハック期間に、読了できた唯一の小説。

チョナムジュ著「82年生まれ、キムジヨン」です。

小説がこれしか読めなかったのは単純に時間がなくなったことと、何より、とっても面白くて一気読みできたことが大きい。

この本はもう大変有名で、映画化(原作をもとに脚色)もされているので知ってる方も多いと思います。

これは、私は、男性を自認している方は絶対読んだ方が良いと思う。特に、若い男の子たちに、これから社会に出たり、これから結婚したりする未来が待ち受けている可能性のある方々にとって、ものすごく勉強になると思う。

何が勉強になるかというと、私が妻から色々なヒントをもらいながらもなかなか気付けなかった私たちの社会の歪みの原因が、男女の役割分担が固定化されすぎている今の社会の構造そのものにあるということ、もっとはっきり言えば、世の中まだまだ男尊女卑で、しかも、特筆すべきは、大抵の場合私たちはそのことに無自覚であるということです。

結婚したら女性が自分の氏を男性と同じにする。

子どもができたら女性が仕事を辞める。

男性は外で働きお金を稼ぎ、女性は家で家事育児をする。

こういうことは、まだまだ当たり前のことのように思われているし、実際に、これは当たり前だ、歴史ある伝統だ、誇り高き文化だ、という声も耳にする。

流石に、若い世代からは、そういうことを直接聞いたりしたことは私はない。

だけれども、私たちがそう思っていないからといって、私たちがそういう社会に加担していないかと言うと、そんなことはなくて、実は私たちもそんな社会のあり方に、その気は無くても加担してしまっている、あるいは、加担せざるを得ない状況に置かれてしまっている場合がとても多い。

結婚しても、僕が名前を変えてもいいよ、と思う男性も最近は少なくないと思う。しかし、ほとんど全ての場合、彼の親は、それをすんなり受け入れることが出来るだろうか。

子どもできたら、もちろん出産や授乳は任せるしかないけど、そのあとは僕が育休を1年取って子育てをしたい、と思う男性だって結構増えていると思う。しかし、今のほとんどの職場の雰囲気でそれが言えるだろうか。子育てなど目もくれず、むしろそれが男性の本来のあり方だと自覚して家を妻に任せて仕事人生を全うしてきた年配の上司に、それを理解してもらえると思えるだろうか。

残念ながら、まだまだこの社会の仕組みは、「実は、男尊女卑なんだよ」と指さされた時に、それをきっぱりと否定できるような状態には全くなっていないし、私たちはほとんどの場合その社会の中で生きていかなければ食いぶちを得ることが許されない。

だから、そういう状態であるということをもっとはっきりと自覚して、変えていかなきゃならない。変えていかなきゃならない理由は明白で、そうしなければ、私たちの子どもたちもまた同じ目にあうしかないからだ。

最近、私は急に、ライムスターにどハマりしていて、どの曲も本当に素晴らしいな~(最近一番好きなのはK.U.F.U)と思っているのですが、今ここで思い出すのは、「フューチャーイズボーン」。

未来は今、今が未来。

未来はどこかから降ってくるわけじゃない、今の自分たちの一つ一つの言葉、一つ一つの動きが少しずつ未来を創造してる。だから未来を変えたいなら、今の自分の言葉と動きを変えていかなきゃいけない。0から1を生み出すわけじゃなくて、今の状況にちょっとだけ変更点を加えるだけでもいい。その小さな小さな変化が未来を大きく描き変えることに繋がっている。(それがK.U.F.U)

さて、今回もまた全然まとまらないので、そろそろ一旦区切ろうと思うのですが、

消滅可能性都市、という言葉があります。まちづくり系のワークショップなんかに参加すると、かなり高確率で出てくるワードです。

これってなんのデータを根拠にしているかというと、そのまちの若年層の女性の人口動態です。要するにかなり単純な考え方で、これから子どもを産んでくれるかもしれない女性たちがどのくらいそのまちに住んでいるか、という観点からそのまちの消滅可能性を数値化しているものです。

ということは、これってつまり、あえて意地悪に読み替えてみれば、どれだけ女性の活躍を阻んでいるまちなのか、の指標でもあると言えると私は思っている。もちろんこれはかなり意地悪な見方だ。でも、そのくらいのことを考えてみたほうがいいと思う。

なぜなら、「消滅可能性都市の脱却のために何をすべきか!」みたいなテーマで開催される地域おこしワークショップにやる気満々で集まってくるのは、控えめに見ても、半分以上が中高年男性という場合が多いという厳しい現実がある。全員男性という場合だって珍しくはない。

私はそこに集まってくれる男性を批判しているのでは決してないし、男性は要らないということを主張しているわけでも全くない。だって、私も男性だから。私もまちづくりやる気満々だから。

考えなければいけないのは、なぜそういう状況が生まれてしまっているのか、ということだ。その背景にある問題を、そろそろ私たちは本気で向き合って考える必要がある。私たち自身の無意識の差別意識が、その大きな原因になっていないだろうか、と。

これは大きな課題であるけれども、同時に、死にかけた地域を復活させるための大事なポイントだと思う。

今回は男女の役割の固定化について書いたけれども、同じことは、例えば、障がいのある人とない人とか、日本国籍の人と外国籍の人とか、他の場合においても起こっていると思う。いつの場合にも私たちはいつの間にかある状態を当たり前の状態だと思ってしまいがちで、実はその時点である一部の人たちに差別的な社会を形成することに加担してしまっている。

私も、知らぬうちに誰かを差別している、直接ではなかったとしても、間接的に。あるいは、差別している社会構造を黙認している。それを自覚した上で、コミュニケーションを取る。そうすれば、多分、ハラスメントの加害者になる可能性を結構下げられる、あるいは、ハラスメント注意のサインが提示された時にそれに気が付いて止めることが出来るのではないかと思う。

そして、これはコミュニケーションを後退させない。むしろ向上させる。ちゃんと向き合って、ちゃんと受け止めて、ちゃんと話ができることに必ず繋がるからだ。

以上!

妻のコメントにインスパイアされて育児や家事における男女差について、思ったことを書いてみた。

家事も育児もまだまだ現在進行形で研究中です。ここから見える社会をしっかり考えながら、マイペース、もとい、マイファミリーペースで、日々頑張ろう~なるべく楽しもう~

(この文章は、平日の、在宅ワークの合間に、そろそろしなきゃやばいリビングの掃除、晴れたらやりたい布団の洗濯、そろそろ掃除機かけたい階段と2階の掃除、その他色々全体的なお片ずけ、などなどなどの家事をほったらかし、もとい、明日まわしにして、書きました。写真は、行田在住の知人のアーティストに撮影していただいた家族写真や、長男が撮ってくれたクッキングパパや、その他です。)

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