【八ッ場ダム視察と川原湯温泉の記憶】
こんにちは!行田市議会議員の野本翔平です。いつもありがとうございます。
今日は荒川北ベリ水防事務組合の組合議会と、その後、同組合議会の視察研修で八ッ場ダムへ行ってきました。
(組合議会というのは、市町村を越えた広域の事業を行うときに各市町村の議員から選出された議員によって作られる広域の議会のことで、例えば今行田市と羽生市が行っている広域ごみ処理場の建設や運営のための組合議会なども同じです。)
日頃から連携させてもらっている熊谷市議会議員の鈴木まさひろくんとも一緒です。
なぜ視察先が八ッ場ダムかというと、水防事務組合議会という名前の通り、この組合議会は荒川北ベリ、つまり、荒川の北側の水防を管轄する議会だからです。
僕は八ッ場ダムへはこれまでにも何度か行ったことがありました。というのも、八ッ場ダムよりちょっと先にある中之条町で開催されている大好きなアートイベント、中之条ビエンナーレに毎回家族で通っているので、その時に立ち寄っていたからです。
でもその時は道の駅メインで寄っていたので、ダムをガッツリ見学したのは初めてでした。
八ッ場ダムは建設に68年、建設費は日本のダム史上最大の約6500億円を費やして作られた超巨大建造物です。間近で見ると、その巨大さには、なんというか、恐れ多い、という様な感覚を覚えます。
八ッ場ダムが作られた場所には、もともとは川原湯温泉がありました。僕は多分小学生くらいの頃に、親に連れられて川原湯温泉に宿泊したことがあります。と言っても、覚えているのは、のどかな集落の中にある小さめな温泉宿ののれんをくぐって玄関へ入ったその場面の記憶だけ。肝心の温泉の記憶はありません。
その当時は、1990年くらいだから当然すでにダム建設計画は進んでいる最中で、きっと反対運動も盛んだった頃ですが、僕の記憶には全くそうした様子は残っていません。もちろん興味もなかったし、そもそも小学生男子だった僕にとって温泉は全く魅力に感じない観光地だったことは白状しておきます。
今日のダム見学の工程には、住民の方々が新たに移転した地区と、川原湯温泉が新たに移転した地区もバスで通りました。どの家屋も当然ながら新しく、綺麗でした。新しくなった川原湯温泉もどの宿も新しく綺麗で、宿という言葉がどこか似合わない雰囲気があり、どちらかというと和風のリゾートのような趣きを感じました。
ダムへ行く時と、ダムから戻る時、同じ道を通ったので、このエリアを2回バスの車窓から眺めました。
その時に感じた印象が、僕が今回の八ッ場ダム視察で感じたことの中で、一番心に残ったことでした。
それは印象だから、言葉にするのが難しいのですが、あえて言葉にしてみるなら、哀しみ、みたいな感情だと思います。
目の前の風景は非常に綺麗で、むしろ綺麗すぎてこの周辺の地域の風景からは異質な空間になっていました。それは多分、人口物が必然的に有する硬さや正確さゆえのある種の冷たさや寂しさです。つまり、僕の印象というのは、八ッ場ダムは建造物としてらもちろんダムそれ自体だけれども、空間としては新たに移築された家々や温泉街やその周辺施設なども含め、ダム建設に併せて開発されたこの地域全体が新しいダムになったように感じました。
この哀しみを、僕たちは忘れるべきではないと思います。政治家として、特にそう思います。
もしかしたら、この地域の風景が段々と古びて、馴染んでいくにつれて。この哀しみも薄れていくかもしれません。それにはなかなかの年月がかかるのではないかと思います。
とにかく、人間の一生のスケールをはるかに超える代償を払って私たちが手に入れたこの八ッ場ダムには、必ずこの地域の新たな繁栄に寄与していただきたいし、中流・下流域も含めた流域全体の暮らしが更に豊かになるように心から願います。
私たちに出来ることは、とりあえずまずは川原湯温泉行来ましょう❗️♨️
川原湯温泉協会HP